2026年5月3日、憲法記念日を迎えました。
各政党やメディアから「改正すべき」「護憲・平和を堅持すべき」と意見が飛び交っています。読売新聞の世論調査では憲法改正「賛成」57%、朝日新聞では高市政権下での改正「賛成」47%・「反対」43%と、依然として意見が割れています。
私は、国際情勢も国内社会もすでに様変わりしている今、「我慢」を前提とした憲法遵守はもう限界に来ているのではないかと考えています。
まず国際政治の現実です。
日本国憲法は、戦後、米国の圧倒的な軍事力による保護を前提に設計された側面があります。しかしトランプ2.0政権が進行する今、米国に過度に依存した抑止力だけでは危うい部分が目立ちます。
米国・イスラエルによるイラン攻撃が象徴するように、世界は国際法すら無視した力の行使が横行する時代に入りました。
高市政権も「国の形をアップデートする」と積極的に改正議論を進めていますが、これは現実的な対応と言えるでしょう。
では国内はどうか。
ここに、私が特に注目しているのが親世代の時代です。
終身雇用制の正社員が一家を支え、専業主婦でも十分にやっていけた「人口ボーナスの余韻」が残っていた頃、社会は「我慢」を強く求めていました。
いじめで人生が大きく傷ついても、爆音バイクの集団走行による人権侵害があっても、「対応困難な状況」を理由に「仕方ない」と黙認する風潮がありました。
加害者を強く支援する弁護士の存在や、当時の世情が「我慢」を許容していたからです。
その時代に成立・運用されてきた日本国憲法の根幹には、高齢者層が信じるモラルを社会全体が認める基盤があったと言えます。
憲法遵守そのものが、経済的・社会的な「余裕」の上に成り立っていた部分は否定できないと思います。
しかし令和の今はどうでしょう。
非正規雇用が増え、格差が広がり、スラップ訴訟 が多発し、かつて信頼を置いていた機関の腐敗や回復力の欠如が露呈しています。
「我慢」を強いられる側が、もう耐えられなくなっている。
市民の安全を守るための規定を、時代に合わせて強化・明確化するべきではないか——そう思わずにはいられません。
憲法は「永遠の理想」ではなく、私たちが生きるための道具です。
親世代が享受した「我慢が許される社会」は、もう戻りません。
国際情勢も国内社会も激変した今、国民一人ひとりが「自分たちの憲法」をどうアップデートしていくかを、真剣に考えるタイミングに来ているのではないでしょうか。